──音無 Fade
音を失くして、守った言葉がある。
言ってしまえば壊れてしまいそうで、
だから私は、黙ったままうつむいた。
–
喫茶店「シルバー・ムーン」は、
都会の路地裏にひっそりと佇んでいた。
誰にも見つからないことを望むように、
少し古びたネオンを灯して。
タバコの煙とコーヒーの香りが混ざったあの店は、
かつて私が、何も語らなかった時間のなかにある。
あの人と座った隅の席。
氷の溶ける音と、言葉にできない沈黙だけが流れていた。
何かを話そうとすると、
喉の奥に鈍い痛みが走った。
伝えたかったわけじゃない。
伝わってしまうのが、怖かっただけだ。
–
いま私は、音のない部屋でひとり、
あの喫茶店のアイスコーヒーを思い出している。
もう甘くもないし、煙も吸わないけれど、
あの沈黙だけは、まだ胸の奥に残っている。
いまでも時々、誰かに問われる。
「どうして何も言わなかったの?」と。
そのたびに思う。
本当に言いたい言葉は、
きっと誰にも聞かれたくなかったのだと。
–
言葉にしなかったことを、
私は後悔していない。
それは守るための、選択だったのだと思いたい。
–
だから今日も、
私は沈黙のままここにいる。
音を失くした静けさのなかに、
今もまだ、壊れていない言葉を抱えている。