音無Fade
「朝と昼のあいだに」
朝と呼ぶには、少し遅かった。
けれど昼と呼ぶには、まだ少し早すぎた。
時計は10時を少し回っていたけれど、
それがどうということはない。
ただ、世界のどこにも「いま」と名付けられていないような、
そんな時間帯だった。
誰かが慌ただしく出かけていく気配も、
窓の外を走る車の音も、もう過ぎた。
学校へ向かう子どもたちの声も聞こえなくなり、
通勤を急ぐ靴音も途絶えていた。
代わりにこの部屋には、
静けさと、淀んだ光と、冷めたコーヒーが残されていた。
なにかをする気力はない。
それでも、なにかをしなければいけない気もしている。
その中間に座っているような感覚。
本を手に取ったが、読む気にはなれなかった。
スマホを開けば誰かの今日が更新されていて、
それを見てしまうと、
ますます自分の今日が“始まっていない”ことを思い知らされそうで、
結局そのまま画面を伏せた。
何もしていない時間。
それが許される瞬間は、きっと人生の中でもごくわずかしかない。
そんな気がして、この静寂を手放せずにいる。
けれど、頭のどこかではわかっている。
このまま何もせずに、
昼がきて、夕方がきて、
日が暮れてしまえば、
今度は別の気配がやってくる。
「今日、何をしてた?」
という問いのようなものが、
誰から向けられるでもなく、
ただ、じわじわと背中を押してくる。
そしてその問いに、何も答えられない自分を
ほんの少しだけ、嫌いになってしまうことも。
それでも、いまはまだ、
その“後悔の予感”すら遠い。
朝と昼のあいだ。
このあいまいな光のなかに、
自分の輪郭だけが、ぼんやりと浮かんでいる。
なにも変えようとしない時間。
なにも変わらない自分。
でも、
「いまはそれでいい」と思えていることだけが、
今日の小さな救いだった。