──音無 Fade
夏が近づくと、
胸の奥に、ふと切なさが満ちてくる。
どこかで落としてしまった何かを、
無意識に探しているような感覚。
かつて、夏は息苦しかった。
重たい湿度に満ちた空気、まとわりつく汗。
それでも——
青く広がる空、眩しい光、
制服の袖をまくった学生たち、
夕日のオレンジに染まる街並み、
そして、縁日から漂う甘い匂い。
そんなすべてが、確かに私を魅了していた。
あの頃、
夏は特別だった。
失う前の何かが、たしかにそこにあった。
今、
大人になった私の夏は、
ただ“暑い季節”として過ぎていく。
仕事に追われ、冷房に包まれ、
記憶だけがそっと残る。
それでも、
夏の空気にはどこか人の心をほどく力がある。
熱に浮かされたように、
人は少し大胆になり、情熱を取り戻していく。
私もまた、
あの頃のように、
夏を感じてみたいと思う。
夜風が髪を揺らし、
遠くで祭り囃子が聞こえる夜。
静かな星空を見上げながら、
私は歩く。
子供の頃に感じた、あのわけもなく高揚した心を、
もう一度だけ、拾い集めてみたくて。
海の熱、
汗ばんだ体、
かき氷の甘さ、
手に残る花火の火薬の匂い。
そんな小さな記憶の欠片たちが、
私の夏を、少しずつ取り戻してくれる。
冷房の効きすぎた部屋で、
グラスの結露を眺めながら、
私はまた、あの夏を思い出している。